あほうどりの羽の上で…

きばらしに更新します

転職10年目にあたって、グチをこぼす

2011年10月1日で、現在の職場に転職。今年で10年となりました。

転職して最初の部署はとても仕事がやりやすく、その時の上司も優しくなかなかのキレ者であり、現在は更に上の役職へとステップアップしており将来有望な人であります。

3年で会社の事情によりその部署が解体され、私は、現在の部署に入る事となるのですが、ここの部署がちょっと特殊な事に気がつくのは1年ぐらいした頃でした。

ここの上司(現在40代後半)は、今年で主任歴約10年のベテラン?なんですが、ちょっとクセが強くて、中間管理職のストレスなのか、弱い立場の社員に対して嫌がらせじみた対応が鼻につく。当然、途中入社の私への嫌がらせアタックも日に日に酷くなっている

この上司、人としゃぺることは好きなんだが、自分の話しかしないから当然他人の話には全く興味ない。

仕事は、毎回見た目と思いつきでしゃべるから、日によって辻褄は合わない、

1番の悪いところは、毎朝の業務メールを見ないので、重要なことは向こうからクレームがくるまでほっておく事が多い、それは病的に忘れやすいが原因。しかし、人のミスは絶対に忘れないし、話しのネタにして他人に喋りまくる。

特に特殊な能力や資格があるわけでもなく、ただ椅子に座ってエクセル開いて電卓?横に置いて仕事しているようで、たまに昼寝している。

そんな上司は自分よりも立場の弱い人間に対して、異常な嫌悪感を持って接しているが、同世代の社員には馴れ合いする。まあ、嫌われたくないのかもしれない。

50代の同世代の同僚と話をしても、何故10年もこの地位にしがみついているのかわからないと、しかも上の役職に上がる努力もしていないし、多分能力も無い。他の部署に引き抜かれるような人徳もないし、信頼も無い。もう役職定年までここに居るだけの人となんだろうかと?

ただ、うちの部署の特性から、このぐらいの無頓着な人間でないと、日々の他部署からクレームや強制などをクリアするに、真面目な人であれば直ぐにギブアップするような所なんで、異様なメンタルの強さを考えれば、会社側の人事としては的確だと。

 

うちの部署は、この上司のメンタルの強さを上手く利用して、有事の際に面倒な責任を全てぶつけているからこそ、成り立っている事がこの数年でわかってきました。

但し、何も問題が無い時は無駄に動いて、ただ鬱陶しいと。

洋画を字幕で観るか、吹き替えで観るか?

映画はお好きですか?

洋画を観に行くときは字幕で観ますか?吹き替えで観ますか?

 

今年は、久しぶりに観たい洋画(レディ・プレイヤー1)があったので、観に行く事にしたが、シネコンですから集客の都合で、吹き替えは全日。字幕版は午後からの半日となっていました。

 

午後から別の予定があるため、吹き替え版を観る事にしました。昔から字幕版を観てから、地上波なりレンタルビデオで吹き替え版を観るスタイルだから、違和感が少しありましたが気にせずに。

 

今回、初めての劇場で吹き替え版でしたが、大きな画面で字幕を追いながら観る必要もなく、内容もわかりやすくなり、吹き替えはプロの声優さんばかりだったので、すんなりと引き込まれて観ていました。まあ、自宅でレンタルビデオを観ている吹き替え版を、わざわざ映画館で観ている贅沢な感じが慣れなかったんですが。

 

吹き替え版の配役を悪く言う人もいますが、これは仕方がないんです。配給会社の事情、日本映画は俳優主義が根強い事もあり、監督や作品の知名度によって、配役をプロの声優さん以外に、人気の俳優さんや芸人をキャスティングして、マスコミが話題にして集客を見込まないと、イマドキの若い層は映画を観に来てくれません。

今回観た"レディ・プレイヤー1"や"スターウォーズ"など、監督や作品のネームバリューだけで集客が見込める洋画は、プロの声優さんのみ使うことが多いので安心して観れますし、普通の俳優さんや芸人さんでも、キャラと吹き替えが会う人もいますので、気になる作品なら、まずは吹き替え版を観に行く方が内容がわかりやすくなるのでおススメします。

 

近々、"コマンドー"の地上波吹き替え版を劇場公開するイベントがあるとか。この作品は吹き替えの歴史に残るレジェンド作品なんで、観に行ける方が羨ましい。

 

さあ、映画を観に行きましょう。

 

※今回、声優さんを"プロの声優さん"と表記したのは、洋画の吹き替えがしっかり出来る声優さんが"本当のプロ"であると私は教えてもらっています。アニメと違い、洋画の吹き替えはいろいろと物凄く神経を使う仕事と認識しており、洋画の吹き替えの仕事ができるようになれば、配属事務所からプロの声優として認められるレベルになったと思っていただければ良いかと…まあ、古い考えかもしれませがね。

今の高校生活がとても羨ましい。

うちの娘は高校の放送部に属し、ドラマ制作やドキュメンタリー制作などしています。結構いい成績を残す高校なので、大変そうですが、自分の夢を叶えるために頑張っております。

 

そんな娘を見てると、30年前に私が高校卒業後に上京して専門学校で演劇や映像、後に別途でシナリオ、演出の勉強もしていたことが重なります。

 

そんな経験をしたからといって、私の夢を娘に託し、教えてもらった事を全てを叩き込でた訳でなく、私としては別の道を進んでほしかったので、そのことはひた隠しにしていたのですが、娘が高校入学前から「高校は放送部に入りたい、放送の仕事がしたい」と言い出したので、自分の経験から苦労する事は伝えてますが、反対する理由もないので好きにやらせています。

 

6月に文化祭で作品を観せてもらいましたが、意外としっかりした作品に仕上がってます。専門で教えてくれる人いないので、先輩からの伝統と顧問の先生の教え方が良いのでしょう。後に感想を聞かれたが構成も良かったし内容もわかりやすいと。あと技術面は粗探しになるので、アドバイスだけしました。

 

続けて、演劇部の公演も観ましたが、素直に面白いと、まるで都内で小劇場を観た感じそのまま。練習と経験不足さえ解消すれば、立派に下北沢で公演できるぐらいの実力があるんじゃねぇかと。

聞けば、生徒が主体で題材を考えてシナリオを書いて演出する。しかも顧問の先生は内容についてあまり口出さないらしい。

 

イマドキの高校の文化部系の部活は、なんて自由なんだ。しかし一応進学校なんだけど、大丈夫か?

 

私が学生の頃に観た高校演劇といえば、身近な学校生活を題材に、舞台は学校。イジメや校内暴力を題材に、理想の学校生活を扱った真面目なテーマでしたが、学生だから練習不足で、笑いを取るところが失笑になるような感じ、感動も無いし満足感が得られない作品で、観てて疲れるし途中で飽きた思い出がある。まあ顧問の先生が題材を決めていた時代でしたから、なんとなく左巻きの具合が…それ以来、高校演劇は苦手でした。

 

私は専門学校卒業後、映像よりも芝居に力を入れ、演劇集団を結成し、上京して7年目にして全てが整い小劇場で公演するまでになりました。公演後、劇団として継続していく事も考えましたが、プロデュースから演出、脚本だけならともかく主演までやってしまうとあまりに詰め込み過ぎて、続けていく気力がそこで途切れてしまい、私の演劇活動は終了させてもらいました。

後に東京から地方へ戻って半年後ぐらいに地方劇団が、近くの文化センターで公演するので観に行ったら、苦手な高校演劇と同じような真面目な内容、しかもしっかり練習してるから、内容の硬さが半端無く伝わるし、笑いも無い。終わった後は心が重くなる、何故こんな題材で公演できるのか?その勇気ある行動に驚いた。

ここの劇団員は、当時ブームだった都内の個性ある小劇場や、人気の劇団の地方公演を観た事が無かったのか?と思ったのだが、当時では都内の小劇場の内容が、そのまま地方で受けることは多分無いだろうし、劇団もそれをわかって真面目な題材で芝居してたんだろうけど…。

 

時代は変わり、今では高校演劇も観ていて楽しい作品を公演してますから、地方劇団も色を変えて、楽しい作品を公演しているかと思います。

 

もし高校の文化祭で、放送部や演劇部、ダンス部などの作品を見る機会がありましたら是非観て下さい。イマドキの高校生は自由に表現していますし、楽しいですよ。

 

 

しかし、ホントに今の高校生活が羨ましい。

"聲の形"を観たら、いじめについて自分の罪を数えられた。

最近、話題になった"聲の形"を初めて観させていただきました。私の中高生の2人の子供も真剣に無言でじっと観てましたが、率直に重いテーマなんで子供達にどう感じてもらったのか気になります。

 

 

 さて劇中前作に、いじめが発覚された学級のシーンで、ふと自分もいじめ発覚で似たような状況になった事、他の児童に追い込まれたことがあった事がある思いが蘇ってしまいました。

 

それは、私が小学2年の時に"ある女の子をいじめている"ということが学級会で議題になり、私一人が吊るし上げられ、更に他の児童からも"あたしもいじめられた"とか"いたずらされた"とか、いろいろ言われ始めて、いじめっこ認定された事があり、泣きながら抵抗した事…1年生から引き続きの担任の先生はその場を収め、私に反省を促す事で問題を大きくせずに終わりました。

その日放課後、担任はいじめていた女の子と私と個別に話をして、帰りに女の子に謝って下校した事。

すっかり忘れていたのですが、あの時の状況が劇中と同じ雰囲気であった事で、フラッシュバックされました。

 

 それからいろいろ思い出してみると、3年の担任は新任で若く自由で、私は悪ガキたちの1人として、学校ズル休みしたり、何か友人と一緒に悪さする事が楽しい毎日は思い出しますが、いじめをしていたかもしれないと…やはり都合の悪い記憶は消えてしまうんだな。

 

4年の時の担任は厳しく集団行動優先でひどく差別的。当然私は問題児の1人として、いろいろ細かく何かと注意をして、劣等感を植え付けみんなから私は孤立させていき、仲の良かった悪ガキ達も離れはじめ、逆に自分へのいじめがはじまりました。

 

5.6年の担任はベテランで児童たちに人気のある先生だったので差別無く接してくれて、2年間でいじめはなくなりつつありました。

 

 しかし、中学入学と同時に状況が一変してしまった。

中1の担任は、何故か私に対してだけ無理矢理責任を押し付けたり、授業中にいじめがあっても、こちらの意見を無視する差別的な行為が見られたことです。

この先生は若い野球部の顧問であり、部活に支障が出ないように、いじめっ子である野球部の生徒たちに嫌われ無いように同調、その生徒は増長していじめは酷くなり、他の部員も含めて、野球部はいじめっこの溜まり場となりました。

 

中2も同じ担任、教室も更に雰囲気は暗く、私は他の生徒から避けられる様になり、完全に孤立していました。

また担任は、私を含め他のクラスの数人が、野球部員からいじめにあっている事実を知りながら黙認、更に密かに担任自らもいじめに加担する様な行為を見せて野球部を維持していたのでした。

当時は、生徒による校内暴力と言う事件が多発した時代だけに、いじめに声を上げる者は誰一人としていなく、私は不登校寸前まで精神的に追い込まれましまいました。

 

中3で新しく担任が変わりました。この先生は生徒の声を聞き、最後の中学生活を楽しむように勧めていく友達のような先生で、教室の雰囲気が変わっていきました。当然、生徒に対して差別なく、私に対してもいじめについて親身に相談に乗ってもらい、とても心が救われた事に今までも感謝しております。

そして夏休みが終わると、3年生は部活を引退し受験生となる為、当然いじめも無くなっていきました。

 

元担任はその年に、同じようにいじめられた友人に対して、野球部員を中心とした集団暴行が明るみになり、私たちが卒業すると同時に、他の学校へ転任していきました。まあ、責任は加害生徒にあるということで、管理責任を問われず、教師免許剥奪にならないのは今も昔も変わりません。

が、数年前に私の子供が小学生の頃、定年間近まで非常勤教師で地元小学校に勤務していたのはビックリ、もし話し掛けてきたら本気でブン殴りそうだったので、行事で出会あっても顔合わせて無いように冷静に完全無視を保っていました。

 

 こうやって当時を思い出してみると、先生によっていじめについて真剣に対応しているか、していないかはっきり分かれている事も見えます。小・中学で担当した担任は6人、内の2人は全くいじめについて無関心というより、児童・生徒より自分の主義や保身しか考えていない事がわかります。

でも、基本的にいじめは加害者の問題でもあるので偏に先生を責める訳にはいきません。

 

最近、地元の集会で、私をいじめていた元野球部員に会う事があるのですが、中学の頃に私をいじめていた事は忘れている感があり、気さくに声をかけてくるのが無性に気持ち悪い、あんなにいじめていたのによく話掛けてこれるなぁ…と

しかし、同じよう私も小学生の頃にいじめっこ認定された時の事を忘れていたので、都合の悪いことは忘れてしまうようになるんだと実感しました。

 

今思う事は、小学2年の時にいじめていた女の子は、幸せに、暮らしているだろうか?と、他にもいじめをした子がいなかったのか?と…。

 

"聲の形"は私にとって観るべき映画でした。いままでいじめられたことばかり気にしていて、被害者意識ばかりしていました。しかし、元はいじめッ子でもあった自分に気がついて、とても申し訳無い思いがいっぱいです。

 

さあ、自分の罪を数えろ!

仕事の価値感と違和感

高校卒業後は上京して接客業のバイトしながら好きに生きてきた。20代後半から30代後半まで地方の地元に戻り、正社員として接客業、楽しい仕事だった。しかし不況でお店が閉業した。せっかくだからいろいろ仕事をやりたかったので、正社員に拘らず営業職やテレサポ、ブラックだった技術職と郵便はある意味良い経験になった。さすがに40後半から通勤時間が短いのが利点というだけで、正社員として工場勤務に落ち着いている。

ただ、その工場には正社員は高校や大学卒業後からずっと変わらず仕事をしている人がほとんど。同級生もいる。そこに転職を繰り返した私が入ってきたので、特に40代以上の人間に奇異な目で見られていた。そう、40過ぎるともう定年かリストラされるまで同じ会社にいる事が当たり前と思っているのが殆どで、40代まで転職を繰り返す者は社会不適格者で問題があり、彼らにとって私は、職も安定しない劣等者扱いしている事がしばしば見えている。

最初の頃、クレームが発生すると事実確認の前に疑われたり、1度の小さなミスが拡大誇張され常習扱いのウワサが流れたり。まあ閉鎖社会でのあるあるが日常茶飯事で、40代の上司に意見を言っても、言い訳をしてるとし"そういうふうに思われる貴方が悪い"と。

結構ストレスがたまり、何度か辞める事も考えた。しかし今辞めも地方で職は無し。4.50代で無資格じゃ何もできない、そんな時に相談した接客業の先輩から

「彼らには彼らの価値観がありそこに異物が入れば、取り込むか排除するか。若い人間であれば向こうから取り込むのは容易いのだが、そうでないと排除するほうが楽と考えるのが当たり前。向こうが取り込まないのであれば、営業や接客の経験と知識を使って相手を信用させて取り込まれているようにすれば。」と いう話を受けた。

確かに自分からコミニュケーションを取ることも無かったし、当然向こうからも無い。じゃあ少しずつ同僚に無駄話でもいいから営業や接客業的に会話を持ち込み、仮面を被りながら仕事を始めることにした。

案の定、食いつきもよく最近では少しずつだが取り込まれているように見えるらしい。

 

でもわたしには、無駄な神経使っているのでやはりこの仕事に価値観は無く、違和感しか無い。