あほうどりの羽の上で…

きばらしに更新します

"聲の形"を観たら、いじめについて自分の罪を数えられた。

最近、話題になった"聲の形"を初めて観させていただきました。私の中高生の2人の子供も真剣に無言でじっと観てましたが、率直に重いテーマなんで子供達にどう感じてもらったのか気になります。

 

 

 さて劇中前作に、いじめが発覚された学級のシーンで、ふと自分もいじめ発覚で似たような状況になった事、他の児童に追い込まれたことがあった事がある思いが蘇ってしまいました。

 

それは、私が小学2年の時に"ある女の子をいじめている"ということが学級会で議題になり、私一人が吊るし上げられ、更に他の児童からも"あたしもいじめられた"とか"いたずらされた"とか、いろいろ言われ始めて、いじめっこ認定された事があり、泣きながら抵抗した事…1年生から引き続きの担任の先生はその場を収め、私に反省を促す事で問題を大きくせずに終わりました。

その日放課後、担任はいじめていた女の子と私と個別に話をして、帰りに女の子に謝って下校した事。

すっかり忘れていたのですが、あの時の状況が劇中と同じ雰囲気であった事で、フラッシュバックされました。

 

 それからいろいろ思い出してみると、3年の担任は新任で若く自由で、私は悪ガキたちの1人として、学校ズル休みしたり、何か友人と一緒に悪さする事が楽しい毎日は思い出しますが、いじめをしていたかもしれないと…やはり都合の悪い記憶は消えてしまうんだな。

 

4年の時の担任は厳しく集団行動優先でひどく差別的。当然私は問題児の1人として、いろいろ細かく何かと注意をして、劣等感を植え付けみんなから私は孤立させていき、仲の良かった悪ガキ達も離れはじめ、逆に自分へのいじめがはじまりました。

 

5.6年の担任はベテランで児童たちに人気のある先生だったので差別無く接してくれて、2年間でいじめはなくなりつつありました。

 

 しかし、中学入学と同時に状況が一変してしまった。

中1の担任は、何故か私に対してだけ無理矢理責任を押し付けたり、授業中にいじめがあっても、こちらの意見を無視する差別的な行為が見られたことです。

この先生は若い野球部の顧問であり、部活に支障が出ないように、いじめっ子である野球部の生徒たちに嫌われ無いように同調、その生徒は増長していじめは酷くなり、他の部員も含めて、野球部はいじめっこの溜まり場となりました。

 

中2も同じ担任、教室も更に雰囲気は暗く、私は他の生徒から避けられる様になり、完全に孤立していました。

また担任は、私を含め他のクラスの数人が、野球部員からいじめにあっている事実を知りながら黙認、更に密かに担任自らもいじめに加担する様な行為を見せて野球部を維持していたのでした。

当時は、生徒による校内暴力と言う事件が多発した時代だけに、いじめに声を上げる者は誰一人としていなく、私は不登校寸前まで精神的に追い込まれましまいました。

 

中3で新しく担任が変わりました。この先生は生徒の声を聞き、最後の中学生活を楽しむように勧めていく友達のような先生で、教室の雰囲気が変わっていきました。当然、生徒に対して差別なく、私に対してもいじめについて親身に相談に乗ってもらい、とても心が救われた事に今までも感謝しております。

そして夏休みが終わると、3年生は部活を引退し受験生となる為、当然いじめも無くなっていきました。

 

元担任はその年に、同じようにいじめられた友人に対して、野球部員を中心とした集団暴行が明るみになり、私たちが卒業すると同時に、他の学校へ転任していきました。まあ、責任は加害生徒にあるということで、管理責任を問われず、教師免許剥奪にならないのは今も昔も変わりません。

が、数年前に私の子供が小学生の頃、定年間近まで非常勤教師で地元小学校に勤務していたのはビックリ、もし話し掛けてきたら本気でブン殴りそうだったので、行事で出会あっても顔合わせて無いように冷静に完全無視を保っていました。

 

 こうやって当時を思い出してみると、先生によっていじめについて真剣に対応しているか、していないかはっきり分かれている事も見えます。小・中学で担当した担任は6人、内の2人は全くいじめについて無関心というより、児童・生徒より自分の主義や保身しか考えていない事がわかります。

でも、基本的にいじめは加害者の問題でもあるので偏に先生を責める訳にはいきません。

 

最近、地元の集会で、私をいじめていた元野球部員に会う事があるのですが、中学の頃に私をいじめていた事は忘れている感があり、気さくに声をかけてくるのが無性に気持ち悪い、あんなにいじめていたのによく話掛けてこれるなぁ…と

しかし、同じよう私も小学生の頃にいじめっこ認定された時の事を忘れていたので、都合の悪いことは忘れてしまうようになるんだと実感しました。

 

今思う事は、小学2年の時にいじめていた女の子は、幸せに、暮らしているだろうか?と、他にもいじめをした子がいなかったのか?と…。

 

"聲の形"は私にとって観るべき映画でした。いままでいじめられたことばかり気にしていて、被害者意識ばかりしていました。しかし、元はいじめッ子でもあった自分に気がついて、とても申し訳無い思いがいっぱいです。

 

さあ、自分の罪を数えろ!